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ゴジラですね。
なんていうフレーズを会議で使うことが増えた。
大企業との仕事の場合、「ウエの意向」には従わなければいけなかったり、会議のために会議をするなんていうことも起こる。もちろんその文化がおかしいというのは若手も認識しているし、変えようという努力をしてらっしゃる方も増えてきた。僕らはそういう契機に呼んでもらえることが多い。風当たりが強かったりもするけど、楽しい。

さて冒頭の一言は、もちろん大ヒットした映画「シン・ゴジラ」をうけてのこと。7月封切りの映画なので話題も一段落した感はあるけど、未だに話題に出るし、何度も観たかトークも健在だ。僕が聞いた限りでは新宿の酒場であったバーテンの青年の19回が最高だ。10回目以降から見方が変わるらしい。その境地に達する気はないけれど、日々の仕事の折にゴジラのストーリーへの共感があったことが気になって、2度目の鑑賞にある視点を持って行ってみた。

共感を得たということは、”巨災対”こと『巨大不明生物特設災害対策本部』の仕事の進め方に何かヒントがあるかもしれないし、脚本の伏線、メッセージを発見できるかもしれない、という期待をもって。

物語の前半は「これが民主主義の基本だから」という科白がでてくるように、ゴジラの登場以降、会議に会議を重ねる内閣と、そのために動く閣僚の様子がテンポよく、そしてメッセージ性を持って伝えられる。たしかに合意の上に合意を重ねていくのは民主主義の原理主義的に正しい。会議への準備会合のおりに閣僚が「想定外だ!」なんて連呼するシーンが、揶揄的に何度も出て来る。

(これ以降ちょっとネタバレなので映画を観ていない方はぜひ観てから読んで下さい)

この内閣は、映画の中盤で全員亡くなってしまう。
随分劇的な展開なのだが、その事件以降、物語の進む中で「優先順位」と「判断基準」が変わってくる。
前半の内閣は典型的な”ビジネス思考型”だ。
「想定外だ!」はまさにその端緒で、「先例を重視する」「根拠があるか」「結果重視」などのビジネス思考型に属する。退治のアイデアも基本的には過去の例の範疇内での発想だ。

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物語の後半でテンポよく描かれるのは、変わり者を集めた”巨災対”によるゴジラの謎解きと、退治に向けて世界中の機関と連携しながら準備を進める様子だ。各省庁から肩書ではなく、能力や特性で集められたメンバーはその全員が理系的でひたむきに解決に取り組む。リーダーである矢口蘭堂は理想的なクリエイティブリーダーシップを発揮する。各自のクリエイティビティを引き出し、チームとしての展開性を最大化し、外部折衝をおこない実現可能性を担保していく。途中で海外の機関に対して情報を開示するかどうかの判断をするシーンがあるが、躊躇なくオープンソース化するあたりもデザイン思考的だ。利害よりも「意味」を求める。意味の先に利益がある。
映画でも結果を急がずに、本質的解決を目指したことで、課題特定が丹念に行われ、そして結果がついてきた。さらにゴジラを凍結した後に、尾頭ヒロミが放射能の半減期に対して、解を得る。ビジネス型では結果がでればそこで終了だが、解決にひたむきなメンバーがいるチームで解を得にいくのがデザイン思考的な仕事の進め方だ。

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デザイン思考は”HOW TO”として、既存の方法論の組み合わせかのように誤解されやすい。でも実は、ゴジラと闘った”巨災対”のようにアティチュード(姿勢)の部分が大きい。また汎用性が高いわけでもなく、停滞状態に対してイノベーションが求められる現場や解決が難解な課題に取り組む場合には有用だが、経済の大部分はビジネス思考で回したほうが効率がいい。
でも、前半の内閣と後半の”巨災対”、どちらが働く幸せがあるかと言えば後者のはずだ。事実、北欧では「社会課題の本質的解決のための考え方」としての側面が強い。
既存の方法で解決できないこと、長期的な街づくりや仕組みの改革、そんな課題に直面することがあればぜひデザイン思考型で進めてみることを検討する、そんな「ウエの姿勢」がでてくると、社会の進化はもっと早くなると思う。米国で産学官が連携してデザイン思考の普及に取り組んでいるのはそれで新しい経済をつくりたい目論見もおおいに働いているものの、まずは意思決定層の価値観が動かないことには、何も変わらないという理由が大きいはず。日本でもシン・ゴジラが契機になって変わっていくと嬉しい。

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弊社で開催してるB-SCHOOLでは今月からデザイン思考の短期コースを開講します。仕事の進め方、アイデアの生み方、チームの在り方を変えてみたい方、お待ちしてます。